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あなたの文章はデブ?ガリガリ? 健康的なブログを目指す人の話。

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photo credit: justonlysteve via photopin cc

こんにちは! Hike×Hackのかけすけです!

つい昨日、こんな記事を書いたばかりです。

情熱で書いて、冷静に見直す! ブロガーズハイを体感した私の反省。 - Hike×Hack情熱で書いて、冷静に見直す! ブロガーズハイを体感した私の反省。 - Hike×Hack

 

この記事で私は「文量を抑える」や「贅肉を減らす」といったことを発言しました。今日はそのことについて、あなたにお伝えしたいと思います。

≪1.文章の「筋肉」と「贅肉」を意識する≫

文章とは、なぜ生まれるのでしょうか。

いえ、もっと身近な問題にしましょう。この記事のこの文章、そしてこの文字はなぜ生まれたのでしょうか。勝手に生えてきたわけではありません。私の意志に関係なくこの文章がニョキニョキと生えてきてしまっているのであれば、ゾッとします。

では、なぜ生まれてきたのか。いたってシンプルな答えです。

それは、「私があなたに伝えたいことがある」からです。伝えたいことがあって、私はこの文章を書いているのです。自己評価ですが、そのことに間違いはないと自負しています。

そして「伝えたいこと」というのは、「すべての文章、すべての文字」に適用されてはいません。

簡単な例を提示しましょう。

私があなたに「1+1=2」ということを伝えるとします。このとき私は、おそらく「実は、みなさんに隠していたことがあります。1+1はね……2なんですよ。なんということでしょう。アインシュタインもビックリです!私は齢20を過ぎた辺りで早くも世の真理に触れてしまった気がします」なんて文章を書くでしょう。というか、実際書いてますね。

このとき、話の要点は「1+1=2」ということだけです。極論「1+1=2」と書けばあなたに伝わります。

それなのに、「アインシュタインもビックリ!」とか言ってるんです。ここで私は、要点である「1+1=2」というものと、ネタである「アインシュタイン」をある言葉で区別しようと思います。

「1+1=2」という、伝えたいことや要点を文章の「筋肉」と呼び、「アインシュタイン」という、書かなくても要点が伝わる文章を「贅肉」と呼ぶことにするのです。

と、なると。伝えたいことがあって文章を書く時、どちらのお肉がより重要だと思いますか?言わずもがな、「筋肉」でしょう。

「筋肉がない」となんの話かわからなくなりますが、「贅肉がない」としても、なにを伝えたいのかはわかるのです。だから、まず大切なのは「筋肉」です。そして、その筋肉が贅肉に埋もれてしまっては、「伝わりづらい文章」というレッテルを貼られてもおかしくないでしょう。

つまり、文章で何かを伝えるときには、まず文章の筋肉が大切であるということです。ただ、誤解を受けたくないことがあります。私は「贅肉をゼロにしろ」と言いたいわけではありません。

それはなぜか。

筋肉を伝えるために、ほどよい贅肉は文章の手助けをしてくれるからです。

たとえば、「1+1=2です。田んぼの田ではないんですよ」という文章。ここの「田んぼの田ではない」というのは、面白くはないですが、「1+1」を印象づける手助けをしてくれます。そう、筋肉だけでもダメなのです。ちょっとしたネタがあったほうが、あなたの伝えたいことは読者に伝わりやすいはずです。

注意すべきは、「贅肉」だらけの「デブ文章」。筋肉が贅肉に埋もれてしまって、何を言いたいのかわからない状況。また、「筋肉」がまったくない「ガリガリ文章」もよくないでしょう。どういうものかというと、「伝えたいこと」に対して、筋肉も贅肉も少なすぎるもののことです。

これらは極力避けるべきです。人間の体と同じように、適度な筋肉、そして適度な脂肪が文章にも求められます。「ガリガリ文章」も「デブ文章」も、「それ自体を売りにしている文章」を書くわけではないのなら、なるべく避けたほうが良いでしょう。(ネタをこれでもかと敷き詰めた「ネタだらけブログ」のようなものを書くのなら、「デブ文章」はむしろ売りになると思います)

さて、私の話になります。

私のブログはよく「デブ文章」を書きがちです。ネタを入れようという意識はしていますが、ついネタを入れすぎてしまうことがあるのです。それは、意図してやりすぎているわけではありません。これでは、あなたに伝わるはずの文章が、伝わらなくなってしまう場合もあるかもしれないです。ガッデム。

そこで私は、自分のデブ文章をダイエットすることに決めました。

そしてそのために、文章の「筋肉」と「贅肉」を見定める眼を鍛える必要性があると気づきました。

≪2.読み返すことで、「筋肉」と「贅肉」を見定める眼を鍛える≫

いきなり「文章ダイエット」といっても、一朝一夕で出来るものではありません。なぜなら、まだ筋肉と贅肉を完全に区別できるほどの眼を養っていないからです。さらに言えば、「どういう贅肉が良くて」「どういう贅肉が無駄か」ということもハッキリとわかっていません。

そのため、贅肉を削ぎ落したつもりで筋肉を削ぎ落としてしまったり、悪い贅肉を退治したつもりが、良い贅肉を退治してしまうことがあるでしょう。結果的に「本来よりわかりづらい文章」が出来上がってしまうかもしれません。

ですが、こればかりは「慣れ」や「経験」、そして「他人の声」が必要なダイエット法になります。自分で記事を書いて、投稿して。まとめ記事を書く時に読み返した時などに、「この文章はいらなかったかもな」という実感が得られるかもしれません。

そういった経験や、ダイエットに対する慣れが、文章の筋肉と贅肉を見定める眼を鍛えてくれることでしょう。

大切なのは、自分が実際に書いた文章を「読み返す」ということ。

これは「下書き」でもいいです。つまりは「推敲」ですね。書く時にウンウンうなっていると効率は落ちますが。文章を一気に書き上げた後で、推敲する時間をとって思考するのはよいことでしょう。

そして少しずつ見えてくるはずです。ガガガッと書いている時には見つからなかった文章の無駄や、穴が。

そうやって、文章に対する眼を養っていくのです。いずれは、「推敲する必要もなく、いきなりパーフェクトな文章が書ける」ようになるかもしれません。(それが良いことか悪いことなのかは、私には判断できませんが)

今日の話は以上です。推敲と書くと小難しい印象を抱いてしまうかもしれません。最初のうちは、「記事を投稿する前に読み返す」だけでも良いと思います。そこから、「読み返して、いらないと思う文章を1つ見つけて削る」など、ちょっとずつ前進していけばいいかな、と。

≪まとめ≫

・文章を、要点を伝えるのに必要な「筋肉」と、そうでない「贅肉」に分ける。

・「筋肉」はできるだけ残し、「贅肉」をできるだけ削る。

・書き手が楽しむための、読み手が楽しむための贅肉は、「筋肉」と同じように大切。

・「筋肉<贅肉」の状況を「筋肉>贅肉」に変えてゆく。

・情熱で書く時には意識せず、冷静に推敲する時に考える。

あとがき

「推敲の時間がもったいない」という感覚には納得できます。質より量を求めるのであれば、推敲する時間を使って次の記事を書いたほうがいいかもしれません。

ですが、推敲する習慣が出来上がってくれば、推敲のスピードは早くなるでしょう。そして推敲のスピードがあがれば、質の良い記事が多く生まれることにつながります。

そうすることでいずれは、「質より量」や「量より質」ではなく、「質も量も」という文章が書けるようになれたらいいなあ、と私は思っちょります。贅沢ですかね。

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